2012年12月31日月曜日

人間万事塞翁が馬

インテリぶったタイトルですみませんm(*・´ω`・*)m

今年は31歳、前厄でした。
そして子宮筋腫の核出手術を受けました。入院も手術も人生初でした。

これだけ聞けば、とってもツイていない年なんですけど
どん底に不幸だった、とはどうしても思えません。
だって偶然にもスゴ腕Dr.(Aだけじゃありません)&優秀な看護師さんに巡り合うことができたし
手術も希望通りのスケジュール&術式で終えることができ、術後はとっても順調。
そして病気になったからこそ出会えた方々もいます。

仕事でもいろんなチャンスが降ってきた1年で
キツかったけれども、今となってはなんだか楽しくもあり、やりきった感がある。
(自分に甘いってよく言われるんですが ^ ^;)

こうしてみると、結構実り多き1年だったんじゃないかなぁ。
人間、何が不幸で何が幸せか、ひとつの側面だけでは判断できないものですねー。

ここで思い出されるのは、Dr.Eの言葉です。

病気になるのは何か意味があって、病気をきっかけにしてちょっと立ち止まって
自分を見つめ直す機会なんじゃないか

結果的にその通りになったかなー。まぁ、そう簡単に自分は変えられないんですが。

ここまで私のくだらないブログを読み続けてくださった皆さま
そして、見ず知らずの私にコメントで励ましてくれた皆さま
どうもありがとうございました。
コメントっていただくのも返信するのも緊張しますけど、うれしいものです。

皆さんきっと、私と同じような病気を克服された方、そして現在通院中の方ですよね?
予後が順調でありますように。満足のいく形で治療が終わりますように。

一年の終わりに、ちょっと振り返って2012年を総括してみたわけですが
なんか、しんみりしちゃいましたね(自分で書いてて息苦しい~ε-(;-ω-`A)。
こんな流れでなんですが、まだブログ続けますんで、どうぞよろしくお願いいたします。

2012年12月29日土曜日

退院後の様子ダイジェスト

年の瀬ですね~。私は本日、仕事を納めました。お決まりの世間ズレ。
改めて1年あっという間だなぁと、しみじみ感じております。

※ ※ ※ ※ ※

12月18日(火)に退院しましたが、そこから仕事復帰するまでの様子をダイジェストでどうぞ。


<退院から1日目、12月19日(水)>
回復具合が著しくなってきたと同時にやってきた寝汗問題。
「病棟が暑いからだ」と思っていたのですが、家に帰ってきても相変わらず続いています。
夜中に起きて、首にタオルを巻いて寝ました。その後はぐっすり眠れました。

家にいてもつまんないなーと思い、中華街へランチに。
久しぶりに結構食べたので、満腹感がすごい(苦しい)。
というわけで、様子を見つつも中華街~横浜駅まで歩きました(←もうおかしいですね、私 ^ω^;)。
何やっても無理をしなきゃいいんですby Dr.A。

1時間ほど机に向かっている(イスに座っている)と、お腹が痛くなる。

生理の終わりかけみたいな出血(おりもの?)がまだあったので、ナプキンを使用。
笑う、咳をする、くしゃみは傷にとっても響く(痛い)ので、極力抑えるように努力していました。


<退院から2日目、12月20日(木)>
まだ寝汗は夜中に目を覚ますほど。ただ、量は減ってきている気がする。

この日もぶらりと電車に乗って買い物へ。
昨日よりも格段に足取りがしっかりしてきたのが、自分でも分かります。
ただし、歩く速度は本当ににゆっくり。
傷をかばって歩くせいか、時間がたつと背中~腰にかけてはる(痛い)感じあり。

1時間以上イスに座っていても、痛みを感じることはなくなった。

出血は、おりものにちょっと赤いものが混ざっているのかな、という程度。
お腹は相変わらずポッコリしていて、中が腫れている感じ。
右側を下にして寝るのが、一番しっくりくる。


<退院から3日目、12月21日(金)>
寝汗はほとんど気にならなくなってきました。やっぱり代謝が原因だった模様。

午後から出勤。仕事に復帰してみました。
傷がすごく痛むということはないけれど、声が弱々しい(腹筋の問題かな?)。
仕事はデスクワークなので、そこまで体に負担はかかりませんでしたが、やっぱり疲れたー

通勤電車(約1時間ほど)で立ちっぱなしでいると、背中~腰が痛くなりました。
体全体のバランスが悪くて、ゆがみが出ているイメージです。あくまでイメージ。
座れるとラクだし、横になっていたほうが落ち着く。

歩くペースが世間一般と大幅に違うので、駅の階段とかまじめに怖かった。
まだ前かがみで、左足はちょっと引きずって歩く感じでした。

笑ったり、咳をしたり、くしゃみをしても、「イタっ」って感じが薄れてきて
こういった行為にそこまで警戒しなくなってきた。

そして、入院中はそれどころじゃなかったから忘れてましたが、ホットフラッシュがありました。
程度は以前と変わらず、背中から首にかけて瞬間的に熱くなって、少し発汗。

出血はゼロ。
おへその上側に鮮やかな赤紫のあざ(1cmくらい)ができていた。でも痛みは全然ないです。
お腹はまだ全体的にポッコリしてました。

2012年12月28日金曜日

手術から4日目、退院です

<2012年12月18日(火)>

この日もまた寝汗をかいて、熟睡できませんでした。
ただ、こうなったら住み慣れた我が家で寝ればいいや、そう割り切っていました。


前日に、「退院時間は午前中」とだけ聞かされていたので
ご飯を食べて、身支度を整えてから、荷物をまとめ始めました。

こういう動作は、本当に難なくできるようになっていました。いつの間にやらヽ(○´ω`○)ノ

Dr.Aは毎朝、外来が始まる直前、午前9時前に病室にやってきます。
その頃には、すっかり荷物をまとめ終えていました。


Dr.A:「(カーテンをあけるなり、ぐるっとあたりを見回して)退院する気まんまんだねー(笑)
何やってもいいけど、外は寒いから、風邪だけは引かないように気をつけて。
じゃぁ、来週の外来で~」


ありがとうございました、をちゃんと言う間もありませんでした。
そう言えば、Dr.QにもLにもちゃんとご挨拶できませんでした。
おふたりとも前日に病室を訪ねてくれたのに、「明日(退院日)も会えるだろう」と思っていた
(≧ω≦^)

10時頃、病棟クラークが明細書を持ってきました。
これを1階の20番窓口(入院手続きを行った場所です)に持っていき、お会計。
すると「退院許可書」を渡されるので、それを持って再び病棟へ。


明細書には、手術や入院時に使用した道具や薬剤などなどすべて記載されています。
私のように手術に時間がかかれば、それだけ使用する薬剤も増える仕組みなんだなー
ということが、非常に明確に理解できます。


看護師さんに退院許可書を渡し、リストバンドを切ってもらい
一緒に病室へ行って忘れ物がないかを確認し、晴れて退院となりました。


私の担当看護師Kさんも、この日はお休みでご挨拶ができず。残念です。

病院内が暑すぎて、「早く外の風に当たりたいー」と思っていたので
院外に出た時は、とっても気持ち良かったです。


「院内を歩くのと、外を歩くのとでは感覚が違うよ」と教えてもらっていましたが
アスファルトの上を歩くと傷に響く、ということはありませんでした。
術前と変わったなぁと思ったのは、靴がブカブカになっていたこと(体重減った!?)。
パンツ(ゆったりしたサスペンダーつきパンツ)は、まだお腹がポッコリしていたので、ゆるくなった感じはなかったです。
このポッコリは、お腹の中に血が溜まっているため(自然に吸収されるby Dr.A)、

そしてお腹の中のいろんな部位がまだちょっと腫れているためだと思われます。

ナースコールは、術後初めてのトイレに付き添ってもらった1回だけ。
痛み止めを含めた薬剤の処方はゼロ(下剤は有無を言わさず飲まされましたが)。

唯一「うーん」と思ったのは、一度も熟睡できなかったこと。
でもでも、とっても優秀なDr.と看護師さんに支えられた入院生活でした


入院&手術費用:8万8000円ほど(後ほど詳細金額UPします)

2012年12月27日木曜日

手術から3日目、マジメにすごいよ、Dr.A

<2012年12月17日(月)>

「退院される方へ」そう銘うたれた用紙(計2枚)には
退院後の生活で気をつけるべきこと、たとえば、「重いものを持つな」とか
「こういう症状(発熱とか出血とか)が出た場合は受診しましょう」だとか、そんなことが書かれています。


月曜日(退院前日)の朝、看護師Kさんが項目に沿って丁寧に説明してくれました。
そして、重要項目にはマーカーも。ただ……


Kさん:「そこには“バイク(自転車)は4週間後から”って書いてあるけど
Dr.Aは“乗っていいよ~”って言っちゃうから(笑)、特にマーカーは引いてません


だって。あはは、Dr.Aらしい(やっぱりKさんは、Dr.Aのこと良く分かってるみたい)。
しかしですね、これで驚くのはまだ早い。

退院前診察(内診&エコー)を終えた私にDr.Aは言いました。
(↑Dr.Aの外来が終わった14:30ごろでした。10階の処置室で行います。とっても寒々しい場所

Dr.A:「何やってもいいから。お風呂も入っていいよ。でも、無理はしないでね」

「退院される方へ」の注意事項って一体なんなの? 教えてDr.A。
まぁ、せっかくなので私はDr.Aに従うことに決めました。何やってもいーんです。



そして私は核心(!?)に踏み込みます。

私:「先生、リュープリン4回目って効いてたんですか?」

Dr.A:「うーん、あんまり効いてなかった。
実は(変な間)……今だから言っちゃうけど、これまでで一番大きかった(!!!!)。
でもまぁ無事に終わったから」


私:「ふふ(力なくもう笑うしかない)、ありがとうございましたー」


なんとまぁ、百戦錬磨のDr.Aにとっても未知のサイズだったか、私の筋腫はΣ(°д°lll)
っていうか、私の「小さくなってるかも」って感覚はなんだったの!?
小さくなれって思いが強すぎて、幻覚でも引き起こしていたのかー??

(↑ちょっと思い当たるフシはあるんですが……)

しかし、よくぞそれで開腹に切り替えなかったなぁ、Dr.A。やっぱり感謝してもしきれない。
でも、これってもう怖いものナシじゃないですかね? スゴ腕Dr.Aは一体どこまで進化するのやら。


ただひとつ、Dr.Aが私の傷を確認した際
「ここ(お腹の左側、2cmほどの傷)は大きくなっちゃってごめんねー」と
ちょっぴり残念(もちろん心配もしてくれています)がっているように感じました
(*´ω`*)

いやいや、全然問題ない。腹腔鏡で終えてくれただけで、私は十分満足です。

2012年12月25日火曜日

手術から2日目、劇的回復

<2012年12月16日(日)>

体全体が熱く、ドキドキ(動悸)も止まらない。
「ナースコールして相談してみようか」何度も迷いましたが、どうにか眠るように努力してみよう……
そうこうして気付いた(目が覚めた)時には、病室の電気がついていました。


6:30 看護師Tさんがやってきて朝の検温です。37.1℃とだいぶ熱が下がってきました。
(昨晩は36.9℃だったので、ちょっぴり上がっていますが)
「体がべたべたするー」と訴えてみたら、温かいタオルを持ってきてくれました(Tさん、デキます)


トイレに行ったところ、微量の出血。ずっと生理がないので、久しぶりの感覚です(マズい?)。

昨日と体の感覚が全然違ったので、その勢いで10階を歩いてみたところ、1周クリア!!
術後2日でこうも違うものか……と我ながら感心してしまいました(腹腔鏡おそるべし)。
ただ、お腹の傷をかばうので、前かがみ(腰が曲がった)状態でしか歩けません。


8:45 朝ご飯(まだおかゆだったと思う)を2/3たいらげる。

10:30 10階をぐるぐる5周くらいして病室へ戻ると、お向かいからDr.Aっぽい声が。
と思ったらDr.A登場(手術着……ってことは当直だったのかな?)。


背中から入れている麻酔を取ります。これが取れるとシャワーがOKになる。

「テープをはがすのが痛いんだ」と、まず右肩に留まっていたチューブとテープをはがしてもらう。
そんなところに付いてたなんて、全然気付かなかった私。ニブイですね。

「ちょっとブラジャーに絡まっちゃって……」というDr.Aの発言が、なんだかかわいらしい(○´ω`○)
Dr.Aは痛いと言ってましたが、テープも針を抜くのも痛みはなかったです。


背中からピッと針を抜いた時、「おーい、これ背中拭いてあげて」とDr.A。
「汗でベタついてたかー」と恥ずかしかったのですが、どうやら針を抜いた時に血が出た模様。
くどいようですが、それでも痛みは全然なかったです。ニブイ!?


12:00 お昼(常食)を初めて完食。ぐんぐん元気になっています。
お昼前後に、看護師さんに傷口に貼ってあった保護テープを取ってもらう。


昨日とは打って変わって快活な姿に、母親もびっくりしていました。

16:30 術後、初のシャワーです。
冬といえども病室は(私には)暑いので、べたべたを洗い流せたのがものすごく快適。


傷口の具合は、ボコっとしていて触れると痛いです。
そしてお腹も全体的にぽっこりしています(左側がよりぽっこりしていて不均一)。
看護師さんの話では「傷口は小さくても、中は結構いじっているから」とのこと。納得。
傷口はせっけんの泡で、押し洗いしました。


19:00 夕食後、看護師Kさんに洗った傷口を診てもらうと
おへその中に血が固まっているので、もうちょっとよく泡で洗うように言われる。不器用ですね(^ ^;)


20:00 背中の麻酔が外れた(終わった)ので、痛みがでないか心配でしたが、まったくなし。
ここまで1度も痛み止めの処方がなく、看護師さんもビックリしていました。やっぱりニブイのか!?

ただ、食事もとれているし、ガスも便もちゃんと出ているので、「非常に順調(な回復具合)だね」とほめ(?)られる。
腹腔鏡手術後は、腸の動きを活発化させることが、回復への近道な気がします
(看護師さんたちからも、これ↑はすごくよく言われる)

体調は悪くないけれど、寝ているほうがラクなので、ベッドで読書をして過ごす。

21:30 今夜こそぐっすり眠れる……と思ったのですが、甘かった。
なぜだか、ものすごい寝汗で(首元と太もものあたり)、夜中に目覚めるとぐっしょり濡れています。
替えのパジャマ(あって良かった)に着替え、再び眠りに入るのですが
2~3時間ごとに、濡れているのが不快で目を覚まし、着替えて……の繰り返し。
でも、傷が痛いとか、気持ち悪いとかではなかったので、我慢できました。


普段はめったに寝汗をかきません。湿ってるではなく、濡れていたので、本当にびっくり。
これも傷を治すために体の代謝が上がっているせいなのかでしょうか……。


翌朝、看護師Kさんに相談したところ、「シーツのせいかも」と言われました。
汚れ防止のために、ベッドに敷いてあった防水シーツを取ることでひとまず対処しました。

 

メリークリスマス、ですね♪

2012年12月23日日曜日

手術から1日経過、一番つらい日

<2012年12月15日(土)>

うとうとしては目を覚まし、自分の体の状態を確認し、またうとうと……
そんなくり返しで、どうやら夜を越したようです。
体にいろんなものがついているので、決して快適ではない
けれども、お腹やどこかがすごく痛いとか、気持ち悪いとか、そういう状況でもなかった。


気管にチューブを挿入したからなのか、のどがイガイガして痰が詰まった感じがあったけど
看護師さんに手伝ってもらい、口の中をゆすいだら、スッキリした。
(↑コップとストローは看護師さんに分かりやすい位置にセットしておくこと)


朝方 看護師さんから「そろそろお水飲んでみようか」と言われたのですが
お水を買い置きしておくのを忘れた私(/ω\)
看護師さんにお金を渡して、デイルームまで買いに走らせる羽目になりました。
「少しずつねー」と言われたけれど、ふた口飲むのがやっと。体が欲しない。


この時気付いたのですが、下くちびるの裏側が切れていて、その外側がかなり腫れていた。
気管チューブを抜いた時にできたのだと思う。


8:00~9:00? カーテンの外からDr.Aの呼び掛ける声が聞こえます。
でもお腹に力が入らず、弱り切っていて、うまく声が出ません。


Dr.A:「いやー、カゼぶり返しちゃったよー
大きいのともう1個の、全部とったから。今ちょっと貧血にはなってるよ。
今日はご飯いっぱい食べて、いっぱい歩いてね。ご飯食べられそう?
そうだ、お腹の左側(筋腫の取り出し口)は2cmくらい切ったから痛みが出るかも。
痛かったら痛み止めもらってね~。じゃあね~」


まだまだぼ~っとしてたので、記憶がくっきりクリアーってわけじゃないですけど
Dr.Aは開口一番「カゼがぶり返した」と言ったのでした。術後で弱っている私に向かって。
まぁ、「どんなに大変な手術だったか」を如実に物語る言葉ではあるんですが。
っていうか、風邪っぴきだったのかDr.A。そんなの私は知らなかったし。


10:00? 「尿カテを抜くのは歩けるようになってから」と聞いていたのですが
看護師さんがやってきて、「もう全部取って、着替えましょう」とおっしゃる。
温タオルで全身を拭いてもらい、陰部も洗ってもらい(恥ずかしいなんて感じる余裕はないです)
点滴、足のマッサージ器、尿カテを全部はずして、パンツ&パジャマに着替えさせてもらう。スッキリー。


尿カテを取ったので、「トイレまで歩いてみましょう」とうながされ
看護師さんに支えてもらい、なんとか立ちあがってみる(お腹に力をいれれば痛い)。
自分では平衡を保っているつもりだったけど、相当ふらふらで看護師さんも支えきれず。
「今はちょっと無理だね、戻ろう。次トイレに行く時は、必ずナースコールしてね」
わずか5mほどの距離なのに……
(´∩`。)

11:00? Dr.Qがやってきました。

Dr.Q:「昨日手術室に入らせてもらったんですけど、無事、腹腔鏡で終わりましたさすがDr.Aってところですね
貧血なんですが、Hb値が9です。点滴もしているので薄まっちゃってます。
普通は10あればいいけど、もともと12あったのでフラフラするかもしれません。
でも薬を飲む必要はないと思います」


お昼ご飯の前にトイレに行ってみました。看護師さんに支えてもらって、なんとかクリア!
ナプキンにはちょこっと血がついていて、尿にも血が沈んでいるように見えた。


12:00? 全粥のお昼でした。1/3ほどがんばって食べたけど、もういらない。
それと、食べて胃が大きくなると苦しくなるような気配がしたので、残しました。
なんとなく横隔膜がせりあがってピキピキする感覚。痛いのか痛くないのか分からない。


お昼を食べたら、なんだか眠くなってきたので寝ました。これもうつらうつらだったけど。

15:00  「そろそろ歩いてみるか」と思い立ち、まずは体を起してベッドに腰掛ける。
お腹に力を入れれば(特に左側が)痛いし、体が恐ろしく言うことをきかない。
看護師Kさんからは、「今日の目標は10階を10周ね」と言われたけどさぁ……。


なんとか病室を出て、手すりをつたって一歩ずつ踏み出してみました。
でも20mほど進んだら、「わー、脳貧血っぽい!!」とすぐさまベッドへ引き返して寝ました。
この時は、このまま無理してたら倒れてた自信あります。まったく歩ける気がしません。


18:00 夕食も全粥でした。記憶が確かならば、「夕飯から常食だから」とDr.Aは言ってた気がするけど。
ほうれん草とレバーの増血メニューだった。おかゆ以外はなんとか押し込む。

余談ですが、病院食のご飯の量は減らしてもらうことができます。
デフォルトは200gですが、私は150gに。牛乳もヨーグルトに変更してもらった。


ご飯を食べたら、ものすごく動悸が激しくなってしまいました。苦しい。
左肩のあたりも何となくだけど、「痛いのかな」って感じです。そして、体全体がとっても熱い。


どんな体勢がラクなのかを探るため、ベッドの上げ下げを繰り返してた。
この時は、まっすぐ平らな状態では傷がひきつる感覚があったので
上半身を起したような角度が良かった……というかマシだった。


夕食前後にも歩く練習。だいぶ進めるようになったけど、往復で100mが精いっぱい。

21:30 動悸は治まらず、じっとり汗ばむほど熱かったので、アイスノンをもらう。
「熱が上がってきたのかも」と言われるが、36.9℃で問題なし。
(これまで37℃後半の熱がずっと続いていたので氷枕だった)


そのままドキドキが止まらず、じっとり熱くて、全然眠れなかった。
実は、寝ているよりも立っているほうがラクちんで、無駄に起き上がっては

(そのたびに傷に力が入って痛いけど、一番痛みが少ない起き上がり方が分かるようになった)
ベッド脇をうろうろしたり、トイレに3回も行ったり、本当に落ち着かなかった(^ ^;)。


これは後から思い返して、そんな気がするんですが、
この時、私の体は傷を治そうと代謝をMAXフル回転に稼働させてたんじゃないかと思うんです。
だって、浅ーい眠りから目覚めたら、ウソのように体が軽かったもの。



2012年12月22日土曜日

麻酔と手術室での様子

<2012年12月14日(金) 討ち入り【2】>


Kさんが重大な忘れ物をしてしまったらしく(^ ^)、「ちょっと待っててね」と言われ、イスに座っていると
(↑こういう感じだったので、本当に緊張って感じではなかった ^ ^)
手術室看護師2名と、麻酔科Dr.Yがやってきました。

 昨晩は良く眠れたか、今の体調、そして婦人科の手術で間違いないかを看護師さんが確認。
そして、今着ているもの(パジャマとか下着の枚数)チェックもします(手術後にまとめて返ってくる)。

と、そこへ通りかかったのはDr.A(青い手術着姿)。
立ち止り一瞥し(私がメガネだったので、一瞬分からなかった感じ)
「よろしくね~」(か、かるい)と言い残し、去っていきました。無精ひげver.だった。

Kさんが戻ってきて、患者IDの確認などをして、いざ手術室へ。
手術室看護師さんに連れられ、一番奥の9番へ入室。なんだか入り組んだ建物構造です。

手術室看護師さんは、ものすごく穏やか&無駄のない動きで、安心感が半端ない。

明るい室内をきょろきょろすると、Dr.Qが私のMRIを見ています。立ち会うのかな?

 
ステップを登って手術台に腰掛け(手術台は結構高い)、上に着ているものを脱ぐ
すると、目の前でDr.AがBGMのCD選択をしてる……。っぽいなぁ( ´ 艸`)
こんな観察しておいて人のこと言えませんが、Dr.Aって緊張することあるのかな?

手術台の上に横になると、麻酔科Dr.Mがやってきました。ネックレスがちゃらちゃら

麻酔科Dr.Yが「麻酔(静脈麻酔)入れます」と、点滴の管からなにやら注入

Dr.Aが「先生、もう自己血いれちゃって」と言っている
(注射痕がどこにもないけど、自己血ってどこから入れるのでしょう?)

左側を下にして、背中を丸めるように指示。目線はおへそへ
背後でDr.Mが透明のビニールシートみたいなものを背中に貼りつけて、ガサゴソしている感じがするのですが
私にはどんな施術を行っているのか、まったく分からない。
(↑硬膜外麻酔のため、注射針を背中から入れているんですが)

実はこの時すでに、脳貧血に近いというか、耳が遠いというか、ふわふわ感がありました
そして手術室看護師さんが、ずーっと私の両手を握っていてくれて、なーんにも心配いらなかった。

痛みも衝撃もまったくゼロで、硬膜外麻酔の処置が終わったようで、あお向けになって……
そこから記憶がございません。


手術担当者全員から自己紹介がある場合もあるみたいですが、なかったです、私の場合。
っていうか、麻酔の効きが良すぎたのかな??
それとも、バタバタしていたから、そんなヒマなかった??

というわけで、どのDr.が立ち会ってくれたのか、知らぬまま手術を終えました。
(術後、Dr.QとLが「立ち会いました」とあいさつにきてくれましたが
これで全員なのかどうか、いまだに分かりません ^ ^;)

意識が途切れるまで、下の着衣はつけたままでした。
手術開始時間は11時ちょうど、だと聞いています。

ここから麻酔が切れる時間も含め4.5時間、Dr.Aの大捕物は続きます(・ω・ノノ"☆(・ω・ノノ"☆(・ω・ノノ"☆

2012年12月20日木曜日

手術当日 とっても私らしい

<2012年12月14日 討ち入り当日【1】>

6:30 看護師Iさんから「9時くらいには点滴を入れる」こと
そして指輪、マニキュアなどなどなどなど身につけていないかどうかを確認される。
「しつこくてごめんなさいね~」と言われたのを笑顔で受け流しつつ、「もうちょっと寝たいかも」と思ってた。


この点滴というのは、手術後まで一切水分をとれないので、脱水症状を防ぐためのもの。
手術を控えた患者はみんな点滴します。


7:00 朝ご飯はナシなので、ヒマです。
デイルームに行き、『告白』を読了。おもしろかったので一気に読んじゃいました。
そして、昨晩下剤を飲んだわけですが、ぜんぜん変わった様子はありません。
もうしわけ程度に出しましたが、達成感はない
(*^.^*) 

9:00 私の担当看護師であるKさんと初対面。とーっても感じのいい方です。
「点滴は10時ごろになりますよー」と教えてもらいました。


10:00 「点滴をするので、処置室に来てください」と看護師さんが呼びに来てくれました。
でも、処置室が分からなかったので、お向かいさんと一緒に連れていってもらう。


点滴を入れてくれるのは、見知らぬ若い女医さんでした。Dr.いっぱいいますね。
利き腕とは反対側、左腕の手首より(肘の内側じゃないです)につけられました。
これ以降、点滴と一緒にガラガラと移動しなければなりません。うーん、病人っぽい。


処置室から病室に戻ろうか、というまさにその時

看護師Kさん:「前の手術がキャンセルになっちゃったらしく、ご家族が到着され次第
手術を開始
したいとDr.Aが言ってるんだけど、いつ頃来るかしら?」


なんという展開でしょう。でも、「このドタバタ感、私っぽいなぁ」と思いました。
そして、母には「12時に来ればいい」と伝えていたのですが、点滴処置が終わった直後に現れたのでした。


10:30 いきなり「スグ手術」になっちゃったので、看護師Kさんも慌てている様子。
足の甲の動脈にマジックでバッテン印をつけられ、お尻に床ずれ防止オイルを塗ってもらい
私(点滴付き)、看護師Kさん(とストレッチャー)、母の3人でエレベーターに乗って5階手術室へ。


Kさん:「Dr.Aはよほどのことがない限り開腹にはしないですよー。筋腫は何cmって言われてるの?
そう言えば、同じ漢字名(でも読みが違う)の患者さんが1か月前にいらっしゃったんですよ」


これ以降も感じることですが、看護師KさんはDr.Aのことをとっても良く分かっている印象でした。
頻繁にDr.Aの担当患者さんを受け持つのかもしれませんね。

……みたいなことを話していると、手術室前に到着。母とはここでお別れです。


なんだか、無駄に長くてすみません。
次回、いよいよDr.Aの登場です(って何のフリですかね?)。

2012年12月19日水曜日

初めての入院は……ヒマです

<2012年12月13日(木)>

11/20の手術説明時には、8階北病棟(説明用紙には“比較的短期利用の患者向け”とある)に入院予定でした。
しかし、12日(水)の午後、病院からTELがきて、「10階南病棟でご用意しました」と変更に。
「もしかして、開腹の可能性があるからなのか……」と変に勘ぐってしまいました。


手術前日となる13日の午後、1階の受付で入院手続き。ひとりで行きました。

本当はここで、健康保険限度額適用認定証(入院冊子の最後のページと診察券も)を提示するのですが、
弊社の保険担当が良く分かっていなかったらしく、私が持っていたのは「認定証の申請用紙」であることが判明。
正直イラっとしながらも、保険組合に電話をしたところ、すぐに発行してくれるとのこと。
出だしからこれでは、先が思いやられますね┐(○`ε´○)┌  


10階南病棟の担当クラークがお迎えに来てくれるので、一緒に10階へ向かいます。
到着後、まず身長と体重を測定。……なんか、体重が1kgほど増えてるんですけど。
おっかしいなぁ、パンツは確実にゆるくなってるのに、なんでだろう??

デイルームとシャワールームを見て回り、その後「こちらが病室になります」と案内されました。
予想はしていたけど通路側でした。
4人部屋ですが、他のベッドは軒並みカーテンを閉め切られていて様子はまったく分からない。

正直な感想を申し上げちゃいますけど、ものっすごく閉鎖的で息苦しいほど。


「荷物を全部出すと、退院時に片づけるのも大変だ」と、面倒くさがりやの私は(;^ω^A
服をハンガーにかけて、必要最低限のもの(コップと本)を床頭台(勉強机みたいな棚)の上に配置して終了。


15:00 看護師Sさんがやってきて、着替えを済ますよう言われるので、持参したパジャマに。
※病室に案内してくれたクラークが、貸出パジャマが必要かどうか確認してくれます

15:30 再びSさんが来て、簡単な問診と聴診器を使って外側から筋腫を確認。
「これかな? 結構大きいねー(←また言われた)」
剃毛とおへそ掃除のチェックをしてもらい(どちらもOKもらった)、採血もする。

手術開始時間は13時からの予定です。ご家族の方は1時間前には来てもらうよう、お願いします」
そうか、手術は午後からかぁ。なんとなく朝イチかなぁって思ってたのですが。


ものっすごいヒマなので、デイルームへ。
誰でも利用できる図書棚があり、『告白(湊かなえ)』を発見。読むことにする。
それでもヒマなので、シャワーを浴びてみる。3つのブースに仕切られていて、水圧が強めで気持ちいい。


17:30 麻酔科のDr.が2名やってきました(Sさんからは「16時ころ」って聞いてましたが)。
「明日は別の者が担当します」と言い残し、Dr.Sは去っていきました
残ったやや若いDr.Yが、「硬膜外麻酔の前から点滴で麻酔を入れること」
そしてこれまでの病歴を聞かれ、口を開けたり、首を後ろにそらしたりして、同意書にサインして終了。

17:40 自己血2回目を担当してくれた、研修医Kが登場(予期せぬ訪問にびっくり)。
研修医K:「手術がすっごいうまい先生(Dr.Aね)なんですけど、でも出血はします」とのこと。
なんでも、子宮は“血の臓器”って言うほどで、特に核出の場合の出血はものすごいらしい。

18:15 夕食。ご飯200gは多いですね。

19:00~ 閉鎖的な病室が(早くも)ダメで、デイルームでずぅっと読書。
20時だというのに、だ~れもいません。なんだか別世界にやってきた気分です。

21:30 夜担当の看護師Iさんから下剤2つぶをもらい、それを飲んで絶飲食。

22:00 消灯……いびき(スミマセン)とか、声が混じった寝息、咳……気になるものですね。
寝たり、目を覚ましたり、寝たんだか寝てないんだか、そんな夜でした。

この日、Dr.Aは他院でオペのため、お姿を拝見することはありませんでした(笑)
特に緊張はなく……でした。

2012年12月18日火曜日

ただいまです、退院しました<手術当日の様子>

<2012年12月14日(金)15時30分ごろ>

Dr.A:「腹腔鏡で全部終わったよ

Dr.Aのこの言葉で、私は麻酔から覚めました。
ぼーっとしながらも、「やっぱりDr.Aやるなぁ」と思いました。
お腹に意識を集中させてみたのですが、「へこんだ……かな?」とイマイチ実感はなし。
それよりも、おシモのあたりがちょっぴり痛いなぁと感じていました。
(↑のちに、尿導カテーテルのせいだと判明する)

ストレッチャーに乗せられて病室へ戻りがてら、看護師のKさん(ものっすごく良い方でした)から聞かされたのは
時間は4.5時間かかり、出血は1300ml (´°Д °`)あったけれど自己血のみで賄い、追加輸血はなし。
開腹することなく、腹腔鏡ですべて取り除いた、ということでした。

※ ※ ※ ※ ※

病室に戻ってくると、肩がガタガタいっています。
「シバリングしてますね。すぐに電気毛布入れますねー」と、素早い対処がなされ
うつらうつらしつつ、自分の状況を確認してみると……
足には自動ポンプ(血栓防止)、パンツではなくT字帯(オムツみたい)、尿導カテーテルに
酸素マスク(苦しい)と手術前から入れている点滴です。

寝返りを打てといわれても、下手に動いて尿導カテーテルが外れたらどうしよう、とか
T字帯がなんとも心もとなくて、ズレたらヤだなぁ、と考えていました。
ですが、やっぱり同じ体勢は苦しいので、楽な姿勢を探してもぞもぞしていると
ちょっと尿カテがズレた感覚があり、「ヤバっ」と思ったのですが、
これ、正解でした。ズレたことにより、ちょっとあった違和感が消えました (*´∇`*)

病室に到着して30分ほどで、Dr.Lが様子を診にきてくれました。手術に立ち会ってくれたそうです。

Dr.L:「血圧(88/60)がちょっと低めですねー。酸素マスクは21時までしましょうねー。
出血は……うん、このくらいなら大丈夫でしょう」

あとで看護師さんに言われたのですが、この酸素マスクをちゃんとつけていると
回復の度合いがかなり変わってくるのだとか。苦しいけど、ちゃんとしてるといいことあります!

こんな感じで、手術当日の夜は更けていくのでしたー。

※ ※ ※ ※ ※

励ましのコメントをくださった皆様、ありがとうございました。
確認は退院後、と、なんとも申し訳ない形になってしまったのですが
予定通り、無事に退院しましたことをご報告します!

入院生活中のできごとなどなど、随時アップしていく予定ですので
お暇な時にでものぞいてみてくださいねー。
あ、私、結構元気です ヾ(°∇ °o)ノ

2012年12月13日木曜日

手術直前情報

リュープリン4回目から3週間、手術前日です。

<筋腫>
11/20にMRIを撮った時も、「これは小さくなってるんじゃない!?」と思ってました。
しかし、結果は惨敗。今年の3月時点で撮影したMRIと比べ、筋腫はほとんど変わらぬ大きさでそこにありました。

そして今現在。
今度こそ小さくなっていると思います。
まぁ、私の感覚の精度の低さは、前回の例を見ても明らかなのですが(;^ω^A
百歩譲って大きさはそのままだとしても、確実に“軽く”なっていると思います。
なんでしょう、密度が小さくなった、のでしょうか?
自分の体なのに、なんとも不思議です。どうなっているんでしょう、私のお腹の中は。
手術前後にでもDr.Aに聞いてみることにしましょう。

<副作用>
前々からあったホットフラッシュが、4回目以降ひどくなったということはありません。
かなり慣れてきたようで、それほど気にならなくなってきました。やっぱり暑いですけどね。

生理は止まったまま、不正出血はまったくありませんでした。
体重もほとんど変化せず、強いて言えばやや減(0.5~1kg)です。
ただし、パンツは確実にゆとりができています(それでもMRIには変化がなかった不思議)。

そして、先月くらいからちょこっと気になることが2点。
ひとつ目は唾液の減少。のどが渇くとはちょっと違う、口内が乾燥している気がします。
ふたつ目は……ちょっと申し上げるのがはばかられますが……わき毛の伸びが遅い(笑)。
寒い季節に入ったから? それとも副作用で成長が遅くなっている? まぁ大事ないです。

※ ※ ※ ※ ※

はてさて、Dr.Aはどう判断されるのでしょうか?
腹腔鏡かそれとも開腹か、それが問題だ……ってハムレットみたいです。

超がつく楽観主義の私は、「このくらいの大きさなら、自他共に認めるエキスパートDr.Aには楽勝じゃない!?」と
根拠のない、無責任な予想を巡らせています。
でも私の場合、大きさだけでなく、位置もちょっとやっかいだしなぁ(裏側にあるやつ)。

そういえば、私はあえて「開腹の可能性は何%ですか?」みたいな質問をしなかったのです。
だって、いくらDr.Aとは言え、根拠をもって数値化できるとは思えない(←ちょっと空気読んでみた)。
そして、よく分からない数字に、一喜一憂するのは私の性分には合いませんからね。

私の受け身さ加減は、ちょっと問題アリかもしれませんが
治療に関して、知らなくても大丈夫(むしろ知らないほうがよい)な事項は、少なからずあると思っています。
Dr.は、大事なことはちゃんと伝えてくれるだろうし(情報の取捨選択も重要な仕事のひとつでしょう)。
もしも、納得できなかったり、どうしても知りたいことは、きちんと質問してクリアにしておくべきですが。

というわけで、行ってきます。
やきもきさせてしまうと申し訳ないのですが(ん? しないか)、次回の更新は退院後に。
予定では、1週間前後で退院の予定です。Dr.Aからはひとことも退院について聞かされていませんがΣ(°д°lll) 

2012年12月8日土曜日

手術まで1週間をきりました

具体的な日程を公表していませんでしたが、12月13日に入院、14日に手術です。
(手術開始時間は聞き忘れた)

この手術日は5月に部長Dr.と決めたのですが
実は、8月の診察日程とごっちゃになり、7日だったか、14日だったか分からなくなっていました。
親にも「手術は7日だからね」って伝えてました。ホント、緊張感がない。

しかーし、部長Dr.と「討ち入りの日だねぇ」「あ、そうですね」なんて会話を交わしたことを思い出し、事なきを得ました。
ナイス、部長Dr.……というよりも、教訓:診察時、重要なことはメモしよう。

赤穂浪士は吉良邸に討ち入ったわけですが、私(Dr.A)は筋腫に討ち入る……こじつけもいいとこです。


5月の手術外来の話に戻りますが、Dr.Aの手術担当日は火曜か金曜だそうです。
ならば、どちらでもいいはずですが

部長Dr.:「あなたは金曜日にしましょうね」

私には火曜という選択肢は与えられませんでした。「12月は……7の倍数で選んでね」と。
何か理由があるのでしょうかね?? 多分、何かあるんでしょう。
金曜日……大きめの地震が起こるのはいつも金曜日だって、ご存じでしたか?
地球はかなりの正確さで、周期を刻んでいるようです。
などと不吉なことを言っていないで、がんばって手術乗り越えまーす。


目下の悩み、というよりも、手術よりも私の神経を衰弱させるものがあります。
それは、し・ご・と。
「入院までに終わらせてね~」と軽い感じで振られた業務。
終わらせることができるかしら、私……。今週いっぱいがんばったけど自信がなくなってきたわ。
いや、でも、入院は入院です。ダメなら上司に引き継ぐことを決めました。

 
次回は、手術直前情報(予定)です(笑)
リュープリン4回目以降の筋腫の様子や、体調などをまとめようと思います。

2012年12月4日火曜日

まさかの500ml

2012年12月3日(月)

右腕にはふたつの注射痕(と前回の自己血でできた注射痕と青あざ)
左腕にもふたつの注射痕……

どたばた自己血2回目でした。
こんなにも注射痕だらけになった原因(敗因?)はどう考えても私
ではなく、今回貯血を担当したDr.にある気がするのです(ごめんなさーい!)。
だって彼女は研修医だったし。

1度目は50mlで血が止まり(流れてこなくなった)
私の手が冷えているのが原因だということになり、ホットノン(って言うの?)で温めてもらう。
時間だけが過ぎていき、「あのー、反対側で採ってもいいですよ」なんて気を使ってみる。

2度目は左腕(貧血検査したばかりだけど、そんなこと言ってられません)でトライ。
体を温める目的で、掛け布団まで持ってきてもらう。
「さっきよりはいいけど……」「腫れてもいないし、なんでかな~」……10分たっても80mlしか採れず断念。

研修医さんも看護師さんも、「これは400なんてムリだわ~」みたいな雰囲気を醸しだしてます。
どうにもこうにも仕方がないので、Dr.Aに電話(内線)で相談することになりました。

研修医さん:「どうしても400欲しいそうです」(←うん、やっぱりね)

Dr.Aの絶対命令(笑)により、現場はにわかに「400ml確保作戦」が敷かれ
そこら辺にいる(失礼!)Dr.を捕まえて穿刺してもらうことになりました。
(良く分かんないけど、Dr.Aはお取り込み中だった様子)

ちょうどそこに通りかかったのは、できる感じのDr.Q(クイーンっぽいから)。

Dr.Q:「何度もごめんなさいねー。はいじゃぁチクっとしますよー」

研修医&看護師:「最初の流速が全然違いますね(キラキラ)」

Dr.Q:「でもさぁ、Dr.Aが800欲しいって言うなんて、相当難しい手術なんだね
(↑さらりとすごいこといいました、Dr.Q)

そんなこんなで、まとめて1時間半くらいかかったけど、無事に400ml確保しました。

でもですね、どう計算しても総採血量は500ml(ペットボトル1本分だ)超え。
いくら私が健康体だとは言え、体中(特に脚)が「酸素足りないよ」と言っています。 
(体がギシギシしているのがよ~~く分かります)
さすがにふらふらするし、ドキドキするし、あくびも止まらない……。
そして、今回は気持ち悪くなることはなかったのに、前回よりも精神的ダメージが大きい気が(T人T)

まぁいいんです。血は元に戻るし(ひと晩寝たらだいぶ回復した)。
研修医は患者さん相手に実践を積まなきゃ、進歩しませんからね⌒☆; (*ゝω・*)ノ

さぁて、来週の来院はぁ入院日です。いよいよだな~。

総所要時間:2時間30分
お会計:2,250円(貯血前に貧血検査を実施したため、前回とは金額が違う)

2012年12月2日日曜日

そういえば、リュープリン4回目でした

まったく……自己血に翻弄されて、リュープリン4回目の影がすっかり薄くなっていました。

4回目を打ってから2週間ちかく経ちますが、新たな副作用が出てきたとか
これまであったホットフラッシュがひどくなってきた、ということはありません。
相変わらず、首から背中にかけて瞬間的に熱くなり、じんわりと汗がにじむ
そんなホットフラッシュが1日に2、3回あるのみ。
圧倒的に昼過ぎから夜にかけてが多いです。副交感神経が働く時間帯ってことでしょうか?


強いて言えば、私のほうが(変な表現ですね)なんとなく慣れてきて
「ああ、熱いね」と、さほど気ならなくなってきました。


生理は止まったまま(おりものはあり)。基礎体温も測るのをやめてしまいました(参考にならなくてすみません)。

生理があった頃は(なんだか急に歳をとった気分)、周期的に体の変化が感じ取れたものです。
肌の調子だったり、PMS(胸の張り、眠気、むくみ)だったり、なんとなく不調な感じだったり……。
そんなのが一切ありません。無変化で一定を保っている、というのがしっくりくる表現。

もともと生理は(周期・量・期間・痛みすべて)いたって普通でしたが、生理がこなくなって早2ヶ月。
はっきり申しまして、ひじょーにラクちん・快適です。


そういえば、ずいぶん前に「生理が来なくなったから、温めていた計画を実行に移そうかな」
と、どうでもよいつぶやきを残していました。


発表します。
「男の子になっちゃおう!」という計画です。
……メガネをユニセックスフレームにして髪を切りました。服装も(より)ボーイズっぽくしました……以上です。
友人にも宣言してみましたが、あきれられました(「檀密さんを見習いなよ」って無謀なアドバイスもらった)。
持つべきものは友、ですね。
まだ計画は実行(進行)中ですが。

明日は自己血2回目です。
雨、降らないといいのですが……。
なんだかしっとりとした雰囲気の内容になりました。

2012年11月28日水曜日

予約ないけど診察へ

2012年11月27日(火)

血管迷走神経反射は病気ではないこと、そして甘ったれと思われても何なので
このことはDr.Aには話していません。

しかし、自己血輸血はあと1回残っているし
寝ている状態で貯血してもやっぱり反射(脳貧血)が起こってしまったことを考え
これは早いうちに話をしておいたほうがよい、と私の本能が訴えている気がしてきました。

次回の自己血輸血時にDr.Aとは話せることは話せるのですが
最悪、気分が悪すぎて話せないってことも十分あり得る。アリエルは人魚、って遊んでる場合じゃありません。
そしてもうひとつ。
自己血輸血の時間を一番最後にしてもらいたい。
でないと、他の予約患者さんが待たされちゃう&恐怖を植え付けてしまいそうで気の毒だから。
(あの病院、診察室&処置室で話されている内容、外でも結構聞こえるから)

というわけで、アポなし診察を受けることに決めました。
待たされるのは覚悟の上。

※ ※ ※ ※ ※

病院に着いたのは9時10分ごろ。そして9時45分には呼ばれました。
早い。予約なしなのに超ラッキー☆
……なんですが、予約されていた方、ごめんなさい!

Dr.A:「ども~。この前なんかトラブった? 今日はそのことだよね!?」
コクコク、思いっきり頷く私(トラブル、ではないような気がするけど)。
電子カルテで情報は共有されていたようです(当たり前か)。

Dr.A:「もしも(貯血が)どーしてもダメならば
採血とは反対側の腕に点滴しながら採るって方法もあるんだけどね……」

Dr.Aってば、私が「もう貯血はイヤ! 次やめたいです(涙)」って訴えにきたんだと思ってるようです。
まぁ、この状況ではDr.Aのように考えるのが自然というもの。
でも今日の議題はそこではないのです。っていうか、私がちゃんと言わねばいけませんね。

私:「あ、いえ、ちゃんとお話をしておくべきでしたね。すみませんでした。
あの、こういうこと(脳貧血)は良くあることなんです」

Dr.A:「良くある」

私:「はい。だから私は慣れっこなんです。けれども周りは心配しちゃうから……。
貯血はやります。でも次回、周りの方にはあんまり心配なさらぬようお願いしたいんです」

Dr.A:「分かった。ちゃんと伝えとく。
そうだね。点滴はちょっとやりすぎかもね。
来る前にポカリスエットをペットボトル1本飲んでくるといいよ」

お気づきかもしれませんが、Dr.Aには「貯血を見送る」という選択肢はありません。
ダメなら点滴を入れながらでも血を貯めろというスタンスであります(注:そんな厳しい言い方じゃまったくないけど)。
その理由はやっぱり私の手術にあるわけで……。

Dr.A:「本当はね、この手術(腹腔鏡)では貯血なんて必要ないの。
でもねー。僕こういうおどかすようなことはめったに言わないし、不安がらせても何なんだけど
あなたの手術はちょっと心配だから。貯血があれば……なんて言うか、僕も安心なの。
(MRI画像をパラパラ見ながら)リスクの手前の手前で(←増えた)判断して、開腹に切り替えるから

※ ※ ※ ※ ※

私は子宮筋腫による症状に悩まされているわけではありません。
でも、いざ腹腔鏡手術を受ける段階になってみて、かな~り煩雑な思いをしています。

何度も繰り返しになりますが、症状がないからって子宮筋腫を放っておいていいことないです。
筋腫が小さければ、リュープリンも必要ないかもしれないし、腹腔鏡で傷は小さく済むし、自己血も必要なし。
あ、でも、Dr.A曰く「子宮筋腫はあるからって必ずしも治療しなきゃいけないものじゃないと思うの」だそうです。
(私の場合は「でもこれはね……」が続いたわけですが)
症状がないからといって、シロウト判断は避けたほうが無難です。

開腹じゃなく腹腔鏡を希望したということもあるけれど、今私はずいぶんと遠回りしている気がしてます。
「人生のいい勉強になったでしょ?」って自分には言い聞かせてますケド(笑)

長文、失礼しましたー。

2012年11月24日土曜日

最難関!? きょーふの自己血輸血 1回目

2012年11月22日(木)

血管迷走神経反射が過剰な私が、果たして自己血400mlを採れるのだろうか。
心配だけど、Dr.と看護師さんに見守られているわけだし大丈夫
そう自らに言い聞かせて貯血に向かいました。


<準備>
まずは血圧測定。至って普通ですが、緊張からか脈拍がちょっと早め。
その後、体温計を渡されるので熱を測ります。発熱時は採血不可。
つい4日前にあった38℃がウソのよう。平熱です。よしよし。


15分ほど受付前で待ち、名前を呼ばれて処置室へ。ベッドが置かれている狭い部屋です。
「完全に横になった状態だし、こりゃ平気だわ」って思いました。


器具の準備は看護師さんが、針を刺したり状態管理は専門のDr.が行います。
Dr.は若くてちゃきちゃきした美人さん。Dr.LadyでDr.Lとしましょう。
Dr.Lが来るまで、ベッドの上で15分くらい待ちました。
超リラックスして、男性Dr.と看護師さんの世間話に耳を傾ける
( ´ 艸`)


<採血(貯血)開始>
Dr.Lが到着。念のため、十数年前に献血(200ml)で気分が悪くなった(本当は失神)ことを伝えます。
Dr.L:「十年も前ならきっと大丈夫!」(←私もそう思う)


貯血は、血液がきちんと出ているか、流速はどうか
そういったことをDr.Lと看護師さん、ふたり体制で確認しながら行います。
血液が流れ出ていっている感覚はまったくありません。


Dr.L:「ちょっと(溜まるのが)遅めかな~。お手伝いしましょうかね」
Dr.Lが針を動かして、最適な流速が得られる角度を見つけます。
これらの作業は、横になっている私からは見えません。針の太さも、溜まっていく血液も見えません。


看護師さんが「はい、今200超えましたー」「380ml、ラストスパート!」みたいに気持ちを盛り上げてくれてオモシロイ。
Dr.Lと看護師さんが、ラストスパートって代々木競技場? あの渋谷にある体育館?
ていうかそれ、国立競技場じゃない? みたいなおしゃべりに花をさかせています。オモシロイ。


そんなこんなで大丈夫でした。所要時間10~15分ってとこ。無事400ml採り終えました~!!
いやー本当にフルマラソン完走した気がしました。やればできるじゃん、私☆って。強くなったなぁって。



<異変は突然に>
針を抜く時、ほんのちょっと痛みが走りました。寝たままの状態でしばらく休憩。

Dr.Lに「気分どうですかぁ?」と聞かれ、「だいじょーぶです」って答えました。

看護師さんが「じゃぁ血圧測りましょうね」と、左腕に血圧計を取り付けていた頃です。
採血終了後、2分ってとこでしょうか。なんだか気分が……ワルイ


「あー、やっぱりきたかぁ」と思った瞬間、Dr.Lから「今ご気分どうですか?」と聞かれ
やっとのことで「ちょっと気持ち悪いです」と伝えました。


完全に横になった状態だったので、意識を失うことはありませんでしたが
耳は遠くなるし、目の前も暗い。そして吐き気と腹痛が。冷や汗も出てきて寒い。

でも、Dr.Lも看護師さんもいる場所でのできごとです。いつもとは安心感が違います。
適切な処置が無駄のない動きでなされていきます。


看護師さんとDr.Lとの「担当の先生だれ?」「えーっと、Dr.A……?」みたいな会話が聞こえてきます。
そして「担当医はDr.Aですよね?」って聞かれたけど、声がちゃんと出ません。病人みたい。
しかもDr.Aって呼ぶのに慣れすぎて(笑)、さらにほとんど頭がまわらない状態だったので
本名を聞いた時「あぁ、そんな名前だっけ」とか思ってました。やばいです。


数分ごとに血圧を測ってもらいましたが、上が60とか脈が40とか聞こえたような。

Dr.Lと看護師さんに見守られ、そのまま30分ほど休んだところで
ようやく気持ち悪さが消えて、ちゃんと話せるようになりました。
この状態になっちゃえば、もう大丈夫なことは経験上分かっています。
(私は慣れっこなんですが、おふたりはとーっても心配していました ^ ^;)


立ち上がっても平気でしたが、パンツ(下着じゃないほうね)が冷や汗で湿って寒い。
処置室を出たら、待っていた方がじっとこちらを見つめていました。
お待たせしちゃったかな?? それとも青白い顔していた? いやマスクしてたからうまくごまかせていたはず。


あともう1回。まぁ、また同じことになるでしょう。覚悟はしてます。完全に寝た状態でコレでは、もう防ぎようないし。
でも、ありがたいことに400mlは確保した☆



全所要時間:約1時間30分(!)
お会計:1,710円

最難関!? きょーふの自己血輸血~その前に~

リュープリンを3回注射した(4回目注射中)にも関わらず、小さくはなってくれなかった私の筋腫。
腹腔鏡でも出血が予想されるため、自己血を800ml貯血する運びとなりました。


さて困った。
私はたいていのことならこなせる自信がある器用貧乏なのですが、どーにもならない弱点が。
ずばり、痛みと出血にとっても弱いのです。


※ ※ ※ ※ ※

ことの始まりは中学時代。忘れもしません。美術の授業中でした。
学校で飼っていたヤギを美術室に放し、その塑像を製作していた私たち。
なんとなく具合が悪い気がするけれど、具体的にどこが痛いとかではない。
うまく表現できないヘンテコな感覚がありました。


と、ちょっとボケっとしていたら、ヤギが私の机にぶら下がっていたビニール袋に食いついてきました。
(先生から、ヤギが食べちゃうから物をかけておいてはいけませんって言われてたのに)

「これをヤギが食べたら死んじゃう!
“ヤギを死なせるなんて!”って学校中から非難されるなんてごめんだわ(私はヤギが好きではない)」

私はヤギと格闘(正確にはヤギが噛んでいたビニール袋を引っ張った)の末、打ち勝ちました。
その数分後、私は倒れて(意識喪失)、友達に抱きかかえられて目を覚ましたのでした。


※ ※ ※ ※ ※

えーっと、ヤギはあんまり関係ないです。すみません。
何が言いたいかというと、なんだかこの日を境に
腹痛だったり痛みを伴う出血があると、意識を失って倒れたり
顔面蒼白、冷や汗タラタラの脳貧血状態になることが起きるようになりました(頻度は1年に1度あるかないか)。


献血(200mlもダメ。以来やってません)に生理痛(最近はまったくなし)、嘔吐を伴う風邪・飲みすぎ(^ ^;)
包丁で深めに指を切ったり、と原因がはっきりしている場合もあれば
それまでまったく普通に過ごしていたのに、急激に気分が悪くなって倒れることもありました。


2度ほど救急車のお世話になってしまい、ホルター心電図検査(24h心電図を記録します)も受けました。
でも病気じゃないんです。
とある搬送先のDr.は私の主訴を聞くなり「自律神経が弱い」とおっしゃいました。


優秀です、このDr.(なぜかエラそう)。

前置きがものっすごく長くなりましたが、私は血管迷走神経反射(外部サイトへとびます)というものが起きやすい体質です。

血管迷走神経反射は、出血や痛みが起きると、体の生命維持反応がやや過剰に働いてしまい
「脈が弱まる→血流が抑えられる→脳に血が行かなくなる→意識を失う」という一連の反射を引き起こします。
よく間違われますが、鉄欠乏性貧血ではありません。

でもまぁ数十秒もすれば意識は戻りますし、しばらく横になって休んでいればウソみたいに回復します。

一番最近だと昨年。
あろうことか、国際線の機内で倒れました。
CAの呼びかけで意識を取り戻し、「お客様の中でDr.の方はいらっしゃいますか~」と
ドラマさながらのシチュエーションに、具合悪いながらも恥ずかしい思いをしました。
Dr.が3名も集結してくれたことには、感謝してもしきれません m(・∇・)m

2012年11月22日木曜日

いばらの道(2)

今回の診察を受けてみて思いました。
麻酔から覚めたら「開腹に切り替えました」って言われる確率も結構高いなぁと。


Dr.Aは実力も実績もあるDr.だと聞いていますし、実際その通りだと私も感じています。

余談ですが、私が手術前検査を受けるため、院内のあちこちを回っている間
母には産婦人科の受付前で待ってもらっていました。
その間に来た初診患者さんのほとんどが「Dr.Aでお願いします」と告げていたそうです。


そんなDr.Aが、開腹の可能性についてあれだけ念入りに説明してくれたわけです。

きっと「腹腔鏡は難しいです。開腹でいきましょう」と言ってしまえば、すっきりすんでしまう話なんだと思います。
“途中で開腹に切り替える”という選択は
私にとってもですが、Dr.Aにとっても、ちょっと苦い決断になるはずだから。


私の希望とか、双方が抱えるリスクとか、やっかいな事ぜーんぶひっくるめて判断した結果
「腹腔鏡でやってみましょう」と言ってくれたDr.Aはやっぱり素晴らしいDr.だと思うんです。

無駄になってしまうかもしれないけれど、今でき得るすべての対策(リュープリン4回目、自己血輸血2回)を講じて
万全の体制で腹腔鏡手術に臨もうとしてくれている、そんな気概が感じられましたから――。


診察後、腹腔鏡と開腹という言葉がぐるぐるまわって、いろんな状況をあれやこれやと考えあぐねていました。
でも決めました。
「腹腔鏡で終えられたら“ラッキー”くらいに考えよう」と(いえ、またウジウジするでしょうけど)。


……たまにはマジメに終わろうと思ったのですが、やっぱりなんだか恥ずかしいなぁ(○´ω`○)ゞ

手術までのスケジュールは、以下のように変更になりました。何だか先が長い。
<11月下旬①>診察・リュープリン4回目・手術前検査

<11月下旬②>自己血輸血1回目(400ml)
<12月上旬>自己血輸血2回目(400ml)、必要があれば診察
<12月中旬>手術(腹腔鏡予定・あくまで予定)

いばらの道(1)

2012年11月20日(火)【2】

②Dr.Aからの説明の続き(Dr.A劇場始まります)

Dr.A:「いやー小さくなると思ったんだけどねー。この大きさで腹腔鏡はやっぱり大変です
どうしても視野も稼働域も限られるから。
それに時間(2hを予定)がかかるから、出血も多くなるしね。

だから、もしもの時は開腹に移行します。まぁ今まで一例もないんだけど(←さり気なく)。
僕、けっこうギリギリまで攻めちゃうから、気をつけなきゃって思ってるんです(←えっと、なんの話だろ?)。
だから、リスクの手前で判断するようにしようと思います(←なるほど、そういうことか)。

まだ若いから、傷もあるし、回復も早いから、できれば腹腔鏡でやってあげたいけど
でも、開腹に移行する可能性はあります。そこは了承しておいてください」

ということなんですね……。

Dr.A:「あと、どれだけ効果があるかは分からないけど、もう一回だけリュープリン注射しよう
(↑どーりで。今日の予定表に“予約注射”があって?だった)

でもって、予約を追加したから、自己血輸血も2回しよう。
1回目と2回目が近い(間があいていない)から、鉄剤今日から飲んで(←フェロミア処方してもらう)。
(自己血の)1回目は他院でオペしてるけど、2回目はここにいるから、なんか話したいことあったら呼び出して。

この後は、リュープリン注射して、入院の説明受けて、手術前の検査してね(←やっぱ今日やるのか)。

はーい、じゃぁ気をつけて帰ってねー」

盛りだくさん過ぎてついていくのが大変。私はお腹がいっぱいです。多分、言われたことはこれで全部。
途中から母はいなくても平気だったような気が。
そしてDr.Aがしゃべり倒して、私は「はーい」「分かりました」「お願いします」しか発しなかった気がする (Θ_Θ;)

※ ※ ※ ※ ※

③自己血輸血の説明→後日、2回に分けて400mlずつ貯血(計800ml)
④入院の説明→北病棟の大部屋予定
⑤リュープリン注射4回目→左腕に。痛くなかった。風邪で感覚が鈍ってるのかも
⑥手術前検査→心電図、胸部レントゲン、採血(5ml×5本)。早歩きで40分弱で終わらせた

締めて3時間半(MRIの上がり時間を含む)。
そしてお会計は……19,580円。カードって本当に素晴らしいですね。

※ ※ ※ ※ ※

ここにきて雲ゆきが……。前途多難っていう表現がぴったり。

ここまでお読みいただいた方(最近、少なからず読んでいただいている方がいることが判明)、ありがとうございます。
次のエントリーも併せてお読みいただけますと幸いです。

2012年11月20日火曜日

MRI間違ってるんじゃ……?

2012年11月20日(火)【1】

昨晩まであまり体調が良くなかったけれど、朝起きたら結構いい感じに回復してました。
というわけで川崎病院へ。

①MRI
横浜市民病院でMRIを一度受けていますが、川崎病院では初めて。
違うな~と感じたこと↓
横浜では入室前に空港のセキュリティチェックのような金属探知があったけど
川崎は「じゃぁ横になってくださいね」と、チェックなし。ちょっと不安になる。問題ありませんでしたが。

横浜は「息を止めてください」という指示が途中ではいったけれど
川崎は何も指示がないまま終了。時間は30分ほどでした。

磁気の力か、MRIって患部(私は腹部)が温かくなる気がする。


②Dr.Aから手術説明
えー、Dr.A短髪バージョンでした。そして腕が日焼けしてちょっと皮がむけてた。
くだらなくてごめんなさい。ちょうど私の目線の先にあったもので、なんとはなしに目についてしまったので。

今日は母と一緒に、MRIの結果+手術説明を聞きます。

Dr.A:「じゃぁ今日撮ったMRI見ましょう」

私:(心の中で)「え? コレ横浜で撮ったMRIと間違えてるんじゃない?

Dr.A:「うーん。あんまり変わってないんだよね(苦笑)。ほら、ここに今日の日付が入ってるでしょ?」

私:「全然変わってないですね。(っていうか日付って、私の心の中読んだのかDr.A!?)」

手術受けようかどうか、どうにもすっぱり踏みきれずにいた私ですが、今回のMRIを見て悟りました。
これは受けるべき。

私に限った結果論になりますが、リュープリンの効果はまったくと言っていいほどありませんでした。
3月に撮ったMRIの画像と全然変わってなかった。
前回は笑ってしまう感じの驚愕だったけど、今回は、さすがにちょっと堪えた(´Д⊂ヽ

2012年11月19日月曜日

救急医療センターへ

基本的なスタンスとして、風邪は自分(の免疫システム)で治すものだと思ってます。
なので、ここ数十年間、内科にはかかってませんでした。しかし……

金曜日以降ずっと寝ていたのですが、どうもスッキリしません。
(インフルエンザだと困るので、市販の風邪薬も飲まず)
そんなこんなで日曜の夜になり、もう一度熱を測ってみたところ……まさかの38℃超え。

フラフラしないので、平気だと高をくくっていたのがまずかった。
平熱は高いほうではないので、「これはひょっとして」とさすがに心配に。
月曜は早朝から忙しくなってしまうので、文字どおり重い腰を上げて救急医療センターへ行ってきました。

症状は普通の風邪ですが熱が高かったので、念のためインフルエンザ検査をすることになった。

実はインフルエンザ検査を受けるのは初めて(ずっと病院を避けてきたから当然だけど)。
痛みはないけど、あんまり受けたくないですね、アレ。涙がでたよ。

陰性でした。ていうか、予防接種してるわけだしね。
でもね、ただの風邪でこんなに熱がでるとは。完全に弱ってるわ、私。

お薬を1日分処方してもらいましたが、やっぱり休まないと良くはならない。
明日はMRIと(婦人科の)診察だけど、こんな状態で行けるのか。゜゜(´□`。)°゜
咳がでるけど、MRIの画像ぶれたりしないかな?? Dr.Aとちゃんと話できるかな??

早めに寝ることにしましょう。

2012年11月17日土曜日

こりゃ風邪だ

ボジョレー解禁にお祭り騒ぎする気力はもうありません。
けれども、飲まずに素通りするのもちと寂しい。
というわけで、15日にワインバー(行きつけ)で心ゆくまで堪能……。

夜更けにほろ酔い加減で、約5kmの道のりをとぼとぼ歩いたのが悪かったのかどうかは分かりませんが
のどがイガイガするし、体の節々が痛いなーと感じたのが昨日の話。
ばっちり風邪をひいた模様です。やってしまった<(; ^ ー^)

熱はないけれど、のどが痛い。声が低い。咳が時々。
病院に行こうかとも思ったけれど、家でおとなしく寝てました。

そんな中、新たな発見が。
風邪っぴき中はホットフラッシュが全然ない
きっと体がそれどころじゃないんだろうなー。

※ ※ ※ ※ ※

先日、入院&手術のことを(直属の)上司に報告したわけですが
上司から「社長以下、上司の上司、総務など関係各所へ連絡したよ」とメールが。

外堀を埋められたような、背中を押されたような気分。
「そういうことなら、手術してもいいかな……」と、周りに流されまくっている私がいる。

自分の体調のことも心配だったけど
仕事のことや周囲に迷惑をかけることもどこかで引っかかっていたってことかな。
でも、ちゃんとDr.Aと話はしてこようと思っています。

火曜日、までにこの風邪はよくなるか……。

2012年11月11日日曜日

上司に予告報告

相変わらず、手術を受けようかどうしようか迷っている……
けれども時間は人を待ってはくれません。そして仕事も。

手術予定日まで残すところ約1カ月になったため、上司に予告報告することにしました。

まずはメールで概要を説明。
でもさすがに文面だけでは不十分なので、個別に話す時間を取ってもらいました。

上司には「手術するかもしれません。その場合●日くらいお休みしたいです」と伝え
詳しい病名も、婦人科系の病気であることも明かしませんでした。
上司は男性なこともあり、「あんまり深く聞いてはマズイ」と思っていた様子でした。

手術日は決まっていますが、入院期間やいつ頃退院できるのかは、まだDr.Aとは話していません。
そこは手術を体験された方のブログなどを参考にして、上司にはだいたいの目安を話しました。
人それぞれなのは承知ですが、体験記は本当に役に立ちます。

普段からほとんど休むことがないので、上司はびっくりしていました。
そして、予感はしていましたが「肝臓悪くしたの?」って聞かれた (;^ω^A
なぜか酒豪のレッテルを貼られている……。たまには飲みますけど。そしてごくたまに飲んだくれてますけど。

あくまで、「手術しないかもしれない」という選択肢も残した報告でした。
けれども上司に言ったことで、「ちゃんと考えなきゃいけないし、Dr.Aとも腹を割ってはなさなきゃなぁ」と
気持ちの整理が少しだけついたので、ちょっと前進した気がしました。

※ ※ ※ ※ ※

リュープリン3回目から約2週間。
副作用は相変わらずのホットフラッシュ。2回目以降と比べ、ひどくなっている感じはないです
不正出血はまーったくありません。
以前の周期だとそろそろ排卵期ですが、そんな気配も全然ないです。
(基礎体温も一定のまま。変化がなくて計りがいがないので、さぼりまくり)

筋腫は小さくなっている感はあるけれど、仰向けになるとやっぱりまだ大きいかも、って感じです。

2012年11月7日水曜日

インフルエンザ予防接種した

リュープリン3回目から1週間が経過。

先週、看護師さんにインフルエンザの予防接種をしてもいいか確認したところ
「大丈夫です」
ということだったので、本日接種してきました。

やっぱり注射が痛くないわけありません。細いとはいえ、針を刺すんですからね。

リュープリンの副作用は、ホットフラッシュのみ。
(頭が痛いとか、気持ち悪いとか、眠いとか、なくなった)
私の場合、首の裏から背中全域が瞬間的に熱くなります。でも、だらだら汗が出ることはないです。
ちょっと慣れてきたのかな? それとも、これからもっとすごいのがくるのかな?

※ ※ ※ ※ ※

注:以下、子宮筋腫治療とは全く関係ない内容です

突然ですが、世の中には医療系マンガ・ドラマがあふれています。
そこでふと、私の記憶に残るDr.たち(フィクション)をまとめてみようと思いたちました。
題して「私を通り過ぎたDr.たち」。

孤高の天才外科医。顔も美形なんです
ブラック・ジャックfromブラック・ジャック

最初の出会いは、まだ小学校に上がっていなかったのでは(恐ろしいことに)?
祖母の家に全巻そろっていたこと、父親が大の手塚ファンだったこともあり
手を出してしまったが最後、とりこです。ブラック・ジャック先生、かっこいー。
すっかりBJの魅力にやられ、「将来は外科医になりたい」とまで思っていました。おかしな子です。

幼少期の記憶は長く残っているもので
「あの回はこんな患者がきて、こんなストーリーだった」みたいなこと、だいたい覚えています。
婦人科系の病気エピソードとしては、ぴのこが誕生する「奇形嚢腫」
そしてBJの医学生時代の淡い恋物語が描かれた「如月先生」の話がありますね。
ママのお腹の子を治療のために処置しようとするBJに
男の子が睡眠薬を飲ませてしまってさぁ大変! みたいな話もあったっけ。

影を背負う医者
司馬江太郎(織田裕二)from振り返れば奴がいる

カンチも青島もあんまりピンとこないんですが、この司馬はめっちゃカッコ良かった。
製薬会社にお金用意させたり、新人女性Dr.にすごんでみたり、主任Dr.を退職に追い込んだり
ワルいDr.に見えますが、患者のことはすごく考えているし、昔はいいヤツだったんです。
人が変わってしまったのには、深く悲しい理由が潜んでいて憎めない。ダークヒーロー。
「ワルいのってステキ」って思う年頃は過ぎましたが、やっぱりかっこいいのです、司馬は。
この時の松下由樹もすごーくステキ!

診察中、心拍数あがりっぱなしだろうな
入江直樹fromイタズラなkiss

一見「ん? 入江君て美形なの?」って思いました。ちょっと爬虫類っぽい顔だし。
ところがどっこい、読み進めていくうちに、入江君がかっこよく見えてくる不思議。
並み居る美女に見向きもせず琴子ちゃんひと筋。
高校時代から変わらないクールで意地悪なところも、イケメン度アップにひと役かってますね。
優しいだけじゃつまらないですからー(思いっきり主観)。

←こんな夜更けに何をやっているんでしょうね。

2012年10月31日水曜日

リュープリン終了! 川崎病院の変わっていること<追記>

リュープリン3回目、何事もなく終了。

Dr.Aから「注射は午後が空いてるよ~」とアドバイスをいただいていたこともあり
前回も今回も12時ちょい過ぎくらいに病院へ。
外来の受付が終了している時間なので本当に空いてます。

実は、私がこの病院で待たされたのは手術外来の時くらいで、他はせいぜい30分。
予約システムがうまく機能している気が私はしています。

左→右腕ときたので、「次はお腹かな?」(そういう体験談を結構目にしていたので)とドキドキしてました。
が、「じゃぁ左腕にしましょう」と言われて、あっさり注射は終わった。
痛いか痛くないかと問われたならば……痛かった。
結論:1回目の看護師さんはかなり注射上手だったようです。
これにてリュープリン注射は予定回数を満たしたため、終了です(*゚▽゚ノノ゙☆

今回、注射を担当してくれた看護師さん、とってもなごやか~な方だったけど
なんだか話がうまくかみ合わず、漫才みたいになってた。ふたりで笑ってましたけど。

※ ※ ※ ※ ※

先日、「川崎病院のちょっと変わっていると思うこと」で「内診がない」と書きました。
それについて、ちょっと思い出したことが……。

さかのぼること、部長Dr.との手術外来の時(5月初旬)。

部長Dr.:「診察がない間(3カ月)に筋腫が大きくなると困るから
注射前に1度、Dr.Aの診察を受けてもらって大きさの確認をしましょうね」

つまり8月の診察は、「スケジュール決め」のほかに「筋腫の大きさの確認」という目的もあり、設定されたものだったのです。
だから「超音波検査くらいやるんだろうなー(ヤだけど)」と覚悟していました。


<補足:4月に川崎病院を受診しましたが、手術日を12月まで延ばしたため5、6、7月と約3カ月は通院することはなかった>

けれども、3カ月ぶりのDr.Aの診察は問診のみで終了。筋腫の大きさなんて確認しませんでした。
何が言いたいかというと、川崎病院の婦人科全体で「内診しない」ことを推奨しているわけではなく
Dr.によって診察方針が違ってくる、という表現が適切だということ
ほかのDr.の患者さんが、「内診ありましたよ」と教えてくださいましたし。
たまたまDr.Aが、必要のない内診はしない方針のDr.だった、ということでしょう。

「産婦人科で治療を受ける場合、内診は絶対に避けて通れない」
と調子が悪くても受診を躊躇してしまう女性は少なくないはず(必要であることは重々承知ですが)。
↑一般化してごまかしていますが、現に私がそうだったなぁヽ(○´w`○)ノ
だから、初診の際に「できることなら内診はしたくない」とDr.Aにまどろっこしく伝えたんですね、実は。
(「どんなふうに言ったのー」ってツッコまないでくださいね ^ ^;)


結果的にDr.Aは、「MRIで分かることはMRIでやる。だから内診はしないよ」
という考えのDr.だったので、非常にラッキーでした。
「内診がイヤで産婦人科から足が遠のくことがないように」配慮(努力)してくれているのかもしれないなぁと思っています。
ちょっとばっかしエキセントリックなんですが、そういう心遣いが感じられるDr.でもあるんじゃないかと思います。Dr.Aって。

2012年10月24日水曜日

案外ラクチンなのかもしれない

リュープリン2回目から4週目。
気が付けば、生理予定日を過ぎてました。

今まで本当に順調で、12日早く来ることがあっても遅れることはなかった。
それがどーしてか、5月に前回の生理から2週間ほどで来てしまいかなり焦ったー
と同時に基礎体温を測り始めました。
(おかしかったのはこの1回だけ。その後いつもの周期に戻った)

リュープリンを始めるまで、基礎体温グラフは二層(低温期と高温期)に分かれていました。
一方、リュープリン1回目後は、うまく高温期が保てない、みたいなグラフ。
いったんガクっと下がる感じはあるけれど、排卵しているのかどうか、ちょっと判断しかねる。
(リュープリンは排卵を抑制します。だから生理が止まるのですね)
でも生理は来ました。そして量も期間もまったく変わらず終わりました。

リュープリン2回目以降はというと……
測定をサボりまくっていて傾向が見えにくい! 反省。
変化としては、今までなかったような低体温(35℃台)がΣ(゚Д゚;)
気温に左右されるってあんのかなーと思って検索してみたところ
口を開けて測ると、外気温に影響されて下がってしまうらしい。気をつけよう。
でも、卵抱期が続いている感じです。まぁ当たり前か。排卵をずっと待ち続けている状態だもんな(あってる?)。
ってことは、お肌も心身も一番良い状態が続くってことなのか??
んー、肌の調子は悪くないが、更年期状態だから身も心も最高! ってわけにはいかんね。

そんなこんなでせいりがきません。とまったもよう。
リュープリン前はPMS(眠い、胸が張る)があったけど、それもなし。いや、眠いけどさ。

肝心の筋腫の様子。
リュープリン1回目後は「大きくなっている??」という気配があったものです。
しかし、ここ最近「あれっ、痩せた??」と勘違いすることが多い。
つまり、(お腹側の)筋腫が小さくなっている気がしております
もう一個あるお尻側のはどうなんだろう?
かる~く「(お尻のあたりが)痛いなー」と感じる時もあるんですが、関係あるのかな?

生理がないって、実はちょっといいかもしれない(不謹慎ですが)。
前々からこっそりしたためていた計画を実行に移そうかな( ´ 艸`)

2012年10月20日土曜日

リュープリンの副作用 対策1


←全然よく知らないです。
近くに行ったら目についたので撮らずにはいられませんでした。
でも、ここで報告しなくてもいいですね。

※ ※ ※ ※ ※

じわじわきている副作用、主にホットフラッシュなんですが
私の解消法を見つけた気がする。
それは「適度に体を動かすこと」。

休日出勤する替わりに、金曜日にお休みをもらいました。
で、とある森林公園を散策、と言えば聞こえがいいのだが、ぶらついていたのです。
そしてふと思ったことが、「今日はほとんどホットフラッシュこないね」ということ。

ホットフラッシュと自律神経の話は、ちょろっと、あいまいに、聞きかじっていたのですが
やっぱり私にも密接な関係があるかもしれないなー、と感じています。

仕事もあるので、日常的に森林浴しに歩き回るのは難しいのですが
自律神経を休める? いたわる? 散歩」、継続してみる価値はあると思いました。
副作用から気を紛らわしている、とも言えるかもしれない。
やっぱり行きつくところは、ストレスフリーとリラックスなのか。

他にもリュープリン対策が見つかるかもしれないので、タイトルは「1」としてみました。
どうなるでしょうか。今のところこれだけです。

リュープリン注射2回目から4週目に突入しようとしております。
よくよくカレンダーを見てみたら、10月は月、火、水曜日が5回もある。
3回目のリュープリンは5週目に打つ予定になってるんですが……いいんですよね?

2012年10月17日水曜日

手術受ける気まんまん、じゃないです

リュープリン注射もしていますし、手術日も決まっている。
あとはその日を待つばかり、なんですが――

正直なところ、手術しなくていいものならしたくないです。

幸いなことに、現在、辛い症状に悩んでいるわけではなく
(幸と辛ってにてますね。どーでもいいですが)
手術を受けても受けなくても、私の態勢に変わりはないので

腹腔鏡は傷が小さいとはいっても、やっぱり臓器を傷つけるわけで
日常生活の中で、手術前(現在)>>術後(未来)というか
「雨だから傷がうずくぜ」なんてことになるのはイヤだなぁと思うワケです。

ですから、常に頭のどこかで
「リュープリンがよ~く効いてくれて、“手術は見送りましょうか”」
ってなことにならんかな~と考えているのであります。

子宮筋腫を放っておいて良いことはない」なんて言っておきながら
一方では「やんなくていいなら、手術したくない」って気持ちも結構大きい。
入院するまでこの葛藤はついてまわる気がしてます。

* * * * *

リュープリン2回目から3週間。
相変わらず副作用はあるんだか、ないんだか。
風邪っぽかったり、頭が痛かったり、ちょっと気持ち悪かったり、顔がほてってるかなー
ってコレ、立派な副作用ですよね、きっと。
イヤ、でも、なんでもかんでも副作用と決めつけるのは良くない。今日は二日酔いもあるし(○´ェ`○)
「病は気から」
副作用じゃないって暗示をかければ、乗り越えられる気がしてるんですけど。どうでしょう。